Music and Thought

Live記録がメインです。たまに長文になりそうな思考結果はこちらに。

4年目の命日に向けて

1/8はBowieの誕生日。そして、1/10はBowieの命日である。

2016年1月10日以来、自分の誕生日である12/24がくるたびに、次はBowieの誕生日と命日がくるってことがなんだか頭に浮かんで少し暗くなる。お正月を祝うんだけど、やっぱりすぐに思い出して暗くなる。数年経てばもう少しマシになるかなって思ったけど、案外そうでもない。

2016年のこの時は方々から心配をいただいた。「死んじゃダメだぞ」とか「生きてるか」とかメールやメッセをいただいた。幸い、2016年1月10日はBowieファンのみんなと新年会だったのでみんなで集まり傷を少し癒すことができた。それがなかったらもしかしたら家で発狂していたかもしれない。一人では正直言って危なかった。死を選択することはなかったが、多分壁に頭を打ち付けるなどの多少の自傷行為はしていたと思う。体の中から何かが張り裂けて出てきそうだったのは今でもよく覚えている。

正直にいうと、Bowieは私にとっては本当に存在しているかしていないのかはよくわからない存在だった。ライブを見たのは1997年、2003年、2004年の3回のみだからだ。Starmanのように宇宙の片隅にいて私たちに信号を送っているだけの実態のない宇宙人か、はたまた、フルCGで作られた美しい生き物の一つと同じだったかもしれない。

しかも、2003-2013年までは10年間新作を出していない。最近は遠くの海の向こう側の人であり、新しい音源が出なかったため古い音源を聞いているだけだった。そう思うと、新しい音源が今後出ないということが確定しているだけであって、死んでいるか死んでいないかはあまり関係がないのかもしれない。なのに、毎年この時期になると暗くなる。

実はBowieが死んでからBowieを日常的に聞く機会はかなり減った。特に集中したい時や寝たい時にしか聞かなくなった。年に一度くらいゆっくり全部のアルバムを聞き直すことはある。でも、日常的に聞くには自分にはまだ空気がピリッと感じすぎていて、敏感になってしまいがちだ。

たまに、人から言われることがある。「David Bowieが理想の男性像なんでしょ?」って。私にとってはそれはNoである。Bowieを男性として見たことがほとんどない。伝記を読めば正直女癖の酷いろくでなし野郎なのでBowieは男としては最低だったと思う。(ただし、Imanと結婚してからはかなりちゃんとしたと思うけど。)Bowieは私にとって一体何だったのだろう?と思うことが自分でもしばしばある。一番近い表現としては「心の父」もしくは「人生の師」だったのだろうと思っている。7歳で本当の父と別れた私にとって思春期の15歳の時に出会った心の父は確実にBowieだった。Bowieの思想にふれ、Bowieと同じようになりたいと思い、彼のカリスマ性と発想力に惹かれ、まずは形から入ろうとBowieと同じ格好をしたw。男性としての憧れではなく、将来像としての自分を投影する憧れ、師に近いものだった。その後からほぼ私のロールモデルは男性だった気がする。

Bowieのどこに惹かれるか。これはBowieが死んだ時に周りのいろんなアーティストやファンが言った言葉と全く同じだった。「他と違っていい」「変わっててもいい」ってことだった。多分、私、小さい頃から少しずれているというか、人がやってないことをやった方が面白いと感じるタイプだったり、誰かがやってなくても自分がやりたければ一人でもやるタイプだったりするので、それが認められた感があったのだろう。

また、もう一つ私なりに付け加えるとすればBowieの「作品の解釈を固定しない」ところが好きだったこともある。私が日本の歌に強烈に違和感を感じるのは詩に遊びがなく一義的にしか解釈できない歌詞が多いことだとはっきりわかっている。何らかのストーリーがあって、そのストーリーとメッセージを明確に伝えたいアーティストが比較的日本は多いような気がする。Bowieの音楽の作り方ってキャンバスに下絵がうっすら書いてあるくらいの感じで、あとはどうぞみなさん解釈してくださいってボーンと投げてるんだと私は思っている。そのインタラクションを本人も楽しんでいる気がしたし。

Bowieの曲を聞くと頭の中には必ずPVが思い浮かぶ。それは彼の作ったPVだけではない。自分の脳内で勝手に作り出されるPVもいろいろ浮かんでくる。しかも、その時の自分の気分によって作り出されるPVは違ったものになるのだ。そこがBowieの不思議なところ。少ししかヒントを与えない預言者みたいな感じで面白い。

Bowieの死後、当たり前の話だがもう新作は出ない。新しい下絵は提供されない。古い下絵を何度も繰り返し塗り直し、過去の作品を聞きながら新たな世界を描くということもあるのだが、Bowieが常に新しい知識や新しい音楽を探究したように、自分もそこに留まってばかりいてはいけない、と思うようになった。だから、比較的新しい音楽も聴き続けているし、新しい本も読むようにしている。それがきっと師の教えなんだろうなというのが、最近少しわかってきた気がする。